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東京高等裁判所 昭和32年(ネ)1423号 判決

控訴人(原告) 中元藤明

被控訴人(被告) 栃木県知事

訴訟代理人 岡本元夫 外四名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が昭和二十九年十二月二十七日附栃木県保第二五六八号を以て控訴人に対してなした戒告処分の決定を取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、左記事項を附加するほか原判決事実記載と同一であるからここにそれを引用する。

第一、控訴代理人の主張

(一)  本件戒告処分の決定は行政処分であるから、抗告訴訟の対象となるべきものである。

(1)  被控訴人は、「本件戒告は行政措置であつて行政処分ではないから行政訴訟の対象にならない。」と主張するが、本件記録添付の社会保険医療担当者監査要綱(以下監査要綱と略称する)は、その用語例において「措置」と「処分」とを被控訴人主張のように使い分けをしていないのみならず、明らかに行政処分である旧健康保険法第四十三条ノ四第三項所定の「取消」についてさえ「措置」という語を用いているほどである。そればかりではなく、同要綱附属様式には「行政上の措置」の欄の内に「処分内容」として取消、戒告注意と記載しているところからみても、右監査要綱が、戒告を取消と同様に行政処分として取り扱つていることがよくわかるのである。被控訴人が自ら印刷公表している公報にも「戒告処分」と明記しているところからみても本件の戒告が行政処分であることは明白である。

(2)  被控訴人は戒告は行政処分でないことの一つの根拠として、「保険医の指定取消は公報に公示するが、戒告は公示しない建前になつている。」ことを挙げ、「本件戒告を公報に掲載したのは過誤によるものである。」と主張する。けれども被控訴人が本件戒告処分を県公報に掲載した二年半後、しかも本件訴訟係属中である昭和三十二年六月三十日の下野新聞(甲第四十号証)にも戒告を受けた医師三名の住所、診療所、氏名が指定取消処分を受けた者とともに掲載してあつて、「近く県公報に登載する。」と記載され、広く世間一般に公表されている。この記事はいわゆる官庁記事であるから、県の係官から提供されなければ他から新聞記者の手に入るわけがない。しかも新聞紙上に、「近く県公報に登載する。」とあるだけで、世人一般は県公報に掲載されたものと思いこむのが常識である。被控訴人は、本件戒告を公報に公示したのは誤りであると弁疏していながら、その後においても同様の処分を世間に公表しているのである。従つて、「戒告は公表しないから行政処分ではない。」という被控訴人の主張は失当である。被控訴人が控訴人に対する本件戒告処分を公表した為に、控訴人がその名誉、信用を毀損されたことは明らかである。被控訴人は、「控訴人が損害を受けたならば処分取消よりも別途損害の賠償を求めるべきである。」というが、損害に対する最も完全な賠償方法は原状の回復であるから控訴人が処分取消を求めることのできるのは当然である。

従つて、被控訴人の本案前の抗弁は理由なきものである。

(二)  本件戒告処分には左記のような違法があるから、この点からしても先ず以て取り消さるべきものである。

(1)  本件戒告は一種の懲戒的行政処分であるが、かかる不利益な処分を行なうには、必ず法律にその根拠がなければならないことは、憲法第十一条および第三十一条の規定の趣旨に照らして明白である。公務員のように特別の権力関係にある者に対する「戒告」でさえ国家公務員法第八十二条に明白な規定が設けられている。本件の発生した昭和二十九年頃においては、保険医は当時施行されていた、改正前の健康保険法(以下旧法と略称する)第四十三条ノ二(現行法第四十三条ノ三に当る)第一項および第二項の規定により当該医師の同意の下に都道府県知事が指定することによりその資格を取得するものであつて、両者の間はなんら特別の権力関係に立つものではない。従つて保険医は同条第四項および第五項によつて保険医たることを辞退することができ、また都道府県知事は同法第四十三条ノ四第三項によつて「指定を取り消す」(即ち保険医たる資格をはく奪する)ことができることになつていた。保険医に対する懲戒的不利益処分は、単にこの旧法第四十三条ノ四第三項所定の「指定の取消」があるのみであつて、「戒告」もしくは「注意」などは規定されていないのである。換言すれば、被控訴人が控訴人に対してなした戒告処分はなんら法律的の根拠がなく、単に昭和二十八年六月十日附保発四六号を以て厚生省保険局長が社会保険出張所長宛に通達した内部規律で、保険医に対する特別権力関係の規律を維持する目的で定められた実質的法規と解すべきものでないところの前記監査要綱に基ずいてなされたものであるから、この処分自体が憲法に違反するものである。

(2)  被控訴人は昭和三十年一月七日発行の栃木県公報第二七三〇号において、控訴人を戒告処分に附した理由として、「健康保険法第四十三条ノ四第三項の規定により社会保険診療方針に違背し、かつ重大な過失による診療報酬の不当請求をしたものと認められるため」と明記して公告している。これは、「控訴人に対する戒告はなんら法律の根拠に基ずくものではなく、単に監査要綱に基ずいてなしたものである。」という被控訴人の主張と矛盾するばかりでなく、右健康保険法第四十三条ノ四第三項(旧法・改正法では第四十三条ノ十二に当る。以下同じ)は「指定の取消」に関する規定であつて、「戒告」に関するものではない。前記のとおり、同法には戒告処分については全然規定していないのであるから、被控訴人が本件戒告処分の理由として健康保険法第四十三条ノ四第三項を適用したのは違法である。

(3)  本件戒告が、被控訴人主張のように監査要綱に基ずいてなされたものとすれば、その処分通達書には当然その旨の記載があるべき筈であるのに本件戒告の通達書(甲第一号証)には全然その旨の記載がないばかりでなく、その他法令の根拠についてもなんらの記載がない。かかる違法な通達書による処分は違法である。

要するに、本件戒告処分はそれ自体違法であるから、控訴人に被控訴人が指摘するような行為があつたどうかについて審理するまでもなく取り消さるべきものである。

(三)  前川久三郎の高血圧に対する診療について、控訴人には診療方針の違背はない。

(1)  控訴人は前川久三郎の高血圧症に対してアークレミンとルチンの注射を行なつた。被控訴人は、「アークレミンは粉末も注射薬もその主成分はトリエタノールアミン塩酸塩である。」として控訴人が患者前川久三郎に対しアークレミンの内服薬を与えず、注射薬を用いたことを非難している。けれどもアークレミンは注射薬と粉末薬とではその主成分を異にしており、その効能も相違している。即ちアークレミン注射薬の主成分は「血管の自家ホルモン」であることは製薬会社作成の効能書(甲第五十四号証)によつても明らかである。(甲第五十四号証はその表紙の中央に赤字で大きく「アークレミン」と薬名を表示し、その上部に白字で「血管の自家ホルモン」と特筆してあるのみで、トリエタノールアミン塩酸塩の名は全然記載していない。またアークレミンの作用につき二十九行にわたつて記載しているが、このうちトリエタノールアミン塩酸塩についての説明はわずか六行だけであつて、他の二十三行はすべて血管のアウトホルモンが如何に高血圧、動脈硬化脳溢血の治療予防に本質的に有効であるかの説明であり、その中特にゴジツク文字で特筆してあるのは臓器および組織的細胞成分についての説明である。)被控訴人はトリエタノールアミン塩酸塩の含有量が多量であることを以て、それが主剤であると主張するが、これは医学的常識より甚だしく逸脱するものである。例えば、ゼリヤはコンドロイチンを主剤とする注射薬であるが、その内容はコンドロイチン硫酸ナトリウム一・〇%、メチオニン二・〇%となつており、メチオニンの含有量はコンドロイチンを上廻つているがゼリヤの主剤がコンドロイチンであることはいうをまたないから、含有量の多寡で主剤なりや否を決するのは相当でない。要するに、アークレミンの注射薬の主剤は血管アウトホルモンであるが、内服用の粉末にはこれが全く含まれていないことは両者の薬効が同一でないことを示すものである。アークレミンの内服薬を以て注射薬に代替すべきであるという被控訴人の主張は全く医学的の根拠を有しないものである。

(2)  被控訴人は、控訴人がルチンを用いたことに対し非難しているが、ルチン剤は厚生省の認可の下に発売されているものであつて、厚生省発行の国民医薬品集にも血管強化脳溢血予防剤として登載してある薬品である。また昭和二十六年八月一日実施の厚生大臣の定める健康保険薬価基準(甲第五十八号証の一)の二十六頁および六十四頁の「る」の部(同号証の三および五)に登載されている。また控訴人の居住する地区の社会保険の診療を審査する栃木県診療報酬基金編集の点数早見表(甲第五十九号証の一)の十頁(同号証の二)および六十九頁(同号証の四)において高血圧治療剤としてルチンを登載している。なお、昭和二十九年六月日本医師会発行の「健康保険における使用内用薬、使用外用薬及び使用注射薬の薬価基準に関する厚生省告示」「薬価基準」(甲第六十号の一)の三十四頁(同号証の三)および九十頁(同号証の五)にも登載してある。被控訴人は、「ルチン剤が吸収され難い面があるとしてもそのために直ちに注射するのは適当でない。」といつているが、吸収が困難であれば薬効を期待し難いことはいうまでもないことであるので、このために注射によつて体内における薬剤の濃度を高めて薬効を強めようとするのは治療上当然必至のことであつて、これを非難するのは失当である。

(四)  飯塚孝一に関する診療報酬の請求は不当請求ではない。

(1)  被控訴人は乙第十号証の一の請求明細書の記載からみて、「チアゾール一日二瓦四日分は内服薬二剤のほかに、別に頓服薬として投与されたものとみられる。」と主張しているが、乙第十号証の一を見れば二剤投与のところに○印が附してあるから三剤投与でなく、「チアゾール一日二瓦四日分」というのは二剤の内訳を記したものとみるのが自然である。また頓服薬は一回の頓用によつて薬効を所期しようとする投薬方法であるから「チアゾール一日二瓦四日分」というのが頓服薬でないことは乙第十号証の一の記載自体からしても明白である。

被控訴人は「内服薬二剤の内訳を記載する場合には、『チアゾール一日二瓦』という内訳は摘要欄に記載し、点数は二剤合計十八点と記載すべきである。」と主張しているが、それは必ずしも摘要欄に記載しなければならないものではなく、診療の内容欄に記載しても差支えないことは乙第二十四号証の二と甲第六十一、第六十二号証の各二、三を対照すれば明白である。即ち控訴人は二剤の外に頓服薬を投与したとして診療報酬を請求したような事実はない。

(2)  被控訴人は当審においてその主張を変更し、「控訴人が飯塚孝一に対してなした投薬は四日分で二十点であるべき筈なのに乙第十号証の一では十八点の請求をしているのは誤りであつて、右は不当請求に当るものである。」と主張している。控訴人が診療報酬の請求を誤つた事実は控訴人においてもこれを認めるが、右は市井の開業医が、多数患者の診療に忙殺されている傍ら複雑煩瑣な保険診療の請求を整理するがために生じた善意の過誤に過ぎず、しかも過当に請求したものではなく、二十点請求すべきを誤つて十八点しか請求しなかつたという過少請求であるから、これを以て診療報酬の不当請求なりというのは当らない。

(五)  控訴人の診療録の記載方法には不備なところはない。

(1)  被控訴人は、本件戒告理由の一つに、控訴人の診療録の整備不良ということを挙げているが、控訴人の作成した診療録は他の保険医が通常作成している程度の記載であつて、特に非難されるべきものではない。そもそも医師の診療録に関しては医師法第二十四条にその原則が定められ、同法施行規則第二十三条に記載事項が規定してあるだけであつて、健康保険に関する診療録についても健康保険法にはなんら特別の規定はない。ただその施行規則第六十八条に「保険に関する診療録を其の他の診療録と区別して調製し、保険診療に関し必要の事項を記載すべし。」と規定しているだけである。診療録は一患者毎に一葉のカルテを使用することが多いが、疾病の種類、症状および治療の如何により屡々一定のカルテの外に体温表、処方録、入院簿、検査録等種々のカードなど数種数葉にわたつて記載し、これらが一体を成して一つの診療録を成すことも少くない。またその記載事項も医師法施行規則に定められた「診療を受けた者の住所、氏名、性別、年令、病名及び主要症状、治療方法(処方及び処置)、診療の年月日(必要的記載事項)のほか、各専門医療の必要に応じ、産科においては「経産か、初産か」「月経の初潮、閉止の時期」また精神科においては「飲酒、喫煙、智能、学歴」などを記載している(任意的記載事項)のが通例である。診療録の記載方法についてもなんら制限はない。即ちその記載内容が判読できる以上は、日本文字であると外国文字であるとを問わないのは勿論、(+)・(-)などの記号で表示しても差し支えないものである。普通のカルテには必要的記載事項である氏名、住所、性別、年令、病名、主要症状、治療方法(処方及び処置)の各欄を予め印刷しておき、それに記入しているのを例としているが、それには別段法的拘束力がないから、たとえかような用紙を用いてもこれらの相当欄に記入せず、例えば体温表の欄外に「何々注射」とか、カルテルの裏面の金銭欄に「何々頓服」と記載しても毫も法令違反になるものではない。

ただ健康保険に関しては前記の如く、健康保険法施行規則第六十八条の規定があるが、これは単なる訓示的規定に過ぎないことは健康保険法及び同施行規則を通覧すれば明白である。健康保険保険医療担当規程(厚生省告示昭和二十五年九月二十日第二三九号、以下担当規程と略称する)第十七条に「保険医は患者に関する診療録を様式第一号に準じ必要な事項をこれに記載しなければならない。」と規定し、様式第一号(表面、裏面)が添付してあるが、(a)右担当規程は単なる告示に過ぎない。(b)様式第一号に準拠して調製すればよいのであつて、それ以上細密の記載を要求しているものではない。(c)たとえ様式第一号にあたる項目でも担当保険医においてよく知悉している患者の住所の如く、診療上記載する必要のない事項は必ずしもその都度記載しなくても差し支えないものと解すべく、(d)その記載方法も医師法第二十四条、同法施行規則第二十三条の規定により普通の医師が一般に記載する方式に則つて記載すれば足り、それ以上細密厳格な記載責任を加重されているものではない。以上の観点よりすれば控訴人の作成した診療録の記載は通常一般に行なわれている程度の記載であつて、前記担当規程第十七条に違反するものではない。

(2)  被控訴人は「診療録の記載に関する健康保険法施行規則第六十八条、担当規程第十七条の規定は訓示的規定ではなく、健康保険運用について重要な骨子であり、保険医は厳格にこれを遵守しなければならないものである。」と主張するが、もし右施行規則がそれほど重要なものであれば益々強化されるか、少くともその効力を持続させるべき筈であるが、右規程は昭和三十二年四月三十日厚生省令第九号によつて削除されている。これは同規程が単に一種の標準を示した注意的規定に過ぎないものであつて、決して被控訴人主張のような強行規定ではないことを示すものである。

また前記担当規程第十七条は「様式第一号に準じ」て調製、記載すべきことを命じているのであつて、その様式どおりのものでなければならないことを定めているのでないことは明白である。しかもこの規程は昭和三十二年四月三十日厚生省令第一五号保険医療機関及び保険医療養担当規則(以下担当規則と略称する。)によつて廃止され担当規程第十七条に代つて担当規則第二十二条が制定された。これによると「様式第一号によるか又はこれに準ずる」診療録に「当該診療に関し必要な事項」を記載すればよいというように非常にゆるやかに改正された。以上を総合して考えると、健康保険法施行規則第六十八条および担当規程第十七条はいずれも訓示的規定であると解するのが相当である。

(3)  前川久三郎に対する診療録(乙第十一号証の三)の記載欄(被保険者の氏名、生年月日、住所、職業、被保険者証の記号、番号等)が空白であることは認めるが、それは次のような事情によるものであるからその記載が不備であるとはいえない。即ち控訴人は訴外前川久三郎を高血圧症兼関節ロイマチスムスの診断の下に昭和二十六年四月四日以来診療を続けて来た。右病症は本来頑固な慢性病であるので、一時軽快しても、それは全治したのが再発したのか、前の病気の続きであるかも診定に苦しむものであるが、その診療の都度必要に応じ前の診療録の記載を参考としなければならないものであるので、甲第四十一ないし第五十三号証の各一、二および乙第十一号証の一ないし三は一括して使用していた。従つてその診療録は全部を一体として観察すべきものであり、そうすればその記載は一見して明瞭であるから、たとえその一部である乙第十一号証の三の記載に空白の部分があつても整備不良ということはできないのである。もつとも前記多数の診療録の中から乙第十一号の一ないし三の診療録だけを切り離して観察すれば、その記載は不備といわざるをえないけれども、控訴人が本件監査に際しその部分だけを分離して持参したのは、被控訴人から昭和二十九年九月十八日附を以て「昭和二十九年四月以降の診療録を持参して九月二十七日午前九時に出頭せよ」との通告(乙第一号証)があつたので、前川久三郎に関する診療録の中、この期間に該当する部分を取り外して持参したためである。従つてもし被控訴人が控訴人に対し、かくの如く短期間に限定せず、長期にわたり診療している患者についてはその診療に関する全部の診療録の持参を命じたならば乙第十一号証の一ないし三と甲第四十一号証ないし第五十三号証の各一、二との関係が判明して乙第十一号証の一ないし三にはなんら不備欠陥のないことが明らかになつた筈である。しかるに被控訴人は控訴人が持参すべき診療録につき、昭和二十九年四月一日以降同年九月二十六日までと期間を制限し、これのみを監査したものであるが、前川久三郎の分についてはその病名からして慢性病患者であることは直に判るのであるから、もし不審があればこれに関連して控訴人に対しその以前の診療について尋ねたならば即座にその以前の診療録の記載関係が判明した筈である。乙第十一号証の三を見れば患者の身分欄は空白であり、何人の診療録であるかさえ推知することができないから、監査を行なうにはそれを究明した上、これに接続した古い診療録まで遡及して監査しなければ監査の目的を達したということにはならない。被控訴人は事ここに出でずしてその記載が空白である事実をとらえて控訴人を非難するのは故意に控訴人を責問しようとするものであると同時に、一面監査の粗漏であることを示すものであり失当である。乙第十一号証の一の保険者、事業所の名称、所在地等の欄になんの記載もないこと、および同号証の三の身分欄が全く空白であることは一見して明瞭であり、控訴人においてもよく承知していたところであつた。従つてもし控訴人が被控訴人から前記乙第一号証による通告を受け、乙第十一号証の一、三を監査のため持参する際、これが懈怠による不記載であるならばこれらを即座に補充記入し完全のものとして持参出頭することは極めて容易なことであつた。しかるに控訴人がその措置をとらず、これを空白のまま持参して監査を受けたのは、日常前川に対する以前の診療録を一括使用していて少しも不便を感じていなかつたためであり、控訴人に悪意のなかつたことを示すものであるから、控訴人に診療録整備不良の責任ありとする被控訴人の主張は理由がない。

と述べた。

第二、被控訴代理人の主張

(一)  本件戒告は抗告訴訟の対象たるべき行政処分ではない。

(1)  保険医は厚生大臣の定める担当規程によつて被保険者および被扶養者の療養を担当すべきものである。(旧健康保険法第四十三条ノ四第一項)。従つて都道府県知事はその保険医の診療内容および診療報酬の請求内容を監査するのであるが、その監査は保険医に診療方針を徹底させ、保険診療の適正を図る目的で行なうのである。しかして監査を行なうに当つてはその方針として保険医の指導に留意して行なうべきものとされている(監査要綱一、目的。二、方針。なお昭和三十二年法律第四二号による改正前の健康保険法第四十三条ノ三第三項参照)。即ち保険医の監査は保険医に診療方針を徹底させ、診療又は診療報酬の請求が適正に行なわれるよう指導するために行なうのであつて、決して保険医の非違を摘発し、それに対して制裁を加えるのが目的ではない。監査の結果保険医に診療または診療報酬の請求について不正または不当の事実が発見されたときは、都道府県知事は事実の軽重に従い、注意、戒告、指定取消の三種の行政措置を行なうのであるが、そのうち注意および戒告は保険医が診療または診療報酬の請求につい将来再び同じ間違いを繰り返さないよう注意を促す目的で行なうものであり、また指定取消も保険医が故意に不正または不当の診療もしくは診療報酬の請求をしたり、重大な過失により前同様の行為を繰り返して到底適正な保険診療の実施を期待できないと思われる場合に、単に保険医との公法上の契約関係を解消するために行なう措置であつて、懲戒的性質はなんら包含されていないのである。公務員に対する戒告が懲戒処分であることは争いないが、それは特別権力関係の規律を維持するために職員の責任を問い、制裁としてこれを課するところにその主たる意味があるのであるが、保険医は特別権力関係にあるものではないから、それに対する戒告は単に診療および診療報酬の請求が適正に行なわれるように指導する意味で行なわれるに過ぎず、なんら懲戒的意味を包含していないから、公務員に対する戒告とはその本質を異にするものである。

(2)  保険医の指定を取り消したときは保険医の氏名、取消年月日等を都道府県の公報に掲載して告示することになつているが(昭和二十三年厚生省令第三二号健康保険及び船員保険の保険医及び保険薬剤師の指定に関する件第八条)、注意および戒告については告示に関する法的根拠はなく、実際上の取扱も告示しない建前になつていた。この点からみても戒告が懲戒的性質を有するものでないことが明らかである。即ち戒告は懲戒を目的としたものではないし、また外部に公表するものではないから、戒告が保険医の名誉および信用等に重大な影響を及ぼすことはない。本件戒告はたまたま栃木県公報に掲載されたが、それは過誤によるものである。仮に戒告が保険医の名誉信用を害することがあつても、それは単に事実上そのような結果を招来したというだけで、法律上当然の効果ではないから、別途損害賠償請求の訴によつて救済を求めるのは格別、戒告を行政処分に準ずるものとしてその取消の訴を認める必要はない。また保険医の指定取消は前に戒告を受けたことを前提とするものではないし、戒告を受ければ指定取消をされる可能性が多くなるとも限らないから、それを予防するために戒告を行政処分なりとしてその取消の訴を認める必要も存しない。

いずれにしても、本件戒告は抗告訴訟の対象となりうべき行政処分ではないから本訴は不適法として却下さるべきものである。

(二)  本件戒告は違憲、違法ではない。

控訴人は「本件戒告を以て法律の根拠に基ずかず、単なる厚生省保険局長の通達に基いてなされたものであるから、処分自体憲法違反である。」と主張するが、本件戒告はそれ自体なんら法律上の効果の発生を目的としない一種の観念通知たる事実上の行為であつて、懲戒的性質をもつ行政処分でないから、法律上の根拠を必要とするものではない。従つて本件戒告は毫も違憲、違法ではない。

(三)  前川久三郎に対する診療について、控訴人には診療方針の違背がある。

(1)  控訴人は「アークレミンの注射薬と粉末剤とは薬名は同じであるが、その成分は全く違うのであるから、粉末の服用によつて注射に代えることはできない。」と主張する。けれども甲第五十五号証、同第五十六号証により両者の成分を比較すると、両者とも最も多量に含有されている主成分はトリエタノールアミン塩酸塩である。注射薬の方にはこの成分の外に、同じく血管拡張の作用ありとして豚牛血管よりの抽出液が加えられており、また粉末剤には強力な血圧降下作用を有する亜硝酸塩としてのベンタエリトリツトテトラニトラートが含まれている。甲第五十四号証によれば「之を必要量非経口的に生体内に注入すれば云々。」として注射の効能を説いているが、これは注射薬の一成分として加えられている右抽出液についてのみのことであつて、注射薬中の酸燐ナトリウム、アセトンクロロホルム、重炭酸ナトリウム等は注射液として刺戟性の少い液剤にするために加えられた賦形薬に過ぎず、何等薬効を有する成分ではない。しかして右の抽出液が高血圧症に対する治療薬として内服剤中の亜硝酸塩より有効であるとの根拠はない。従つて注射薬と内服薬とは多少成分を異にし、またその働き方が多少は異なりうるとしても、薬効がほぼ同一であることは、両者の適応症が全く同一であることによつて明らかであり、控訴人主張のように両者の効果が著しく相違し、従つて粉末の服用によつて注射に代えることができないものではない。むしろ長期にわたる頑固な慢性病に対しては効力の持続性の少い注射によるよりも、一日に何回も必要量を内服できる内服薬を使用することがより効果的である。

(2)  控訴人は「ルチンは吸収が悪く効果を期待し難いので内服剤をさけ、注射によつたのである。」と主張するが、本件監査の行なわれた翌年である昭和三十年八月制定された社会保険における高血圧の治療指針(乙第二十三号証)の第三章薬物療法の5、その他の薬剤中(a)ルチン剤のところにも「ルチンの毛細管抵抗に及ぼす影響についてはここに多言を要しないが、脳溢血予防の効果は多分に仮説の上に立つ希望的のものである。しかし実際に多少とも効果があるか否かについては多くの疑問があり全く未決定である。」と示されている。この治療指針は厚生省から日本医学会々長に諮問し、斯界の権威者である学者の一致した意見に基ずき作られたものである点からみれば、当時においても、ルチン剤の効果はまだ疑問視されていたのであつて、少くとも有効との折紙がつけられていたものでなかつたことがわかるのである。しかして保険診療としての立場からは、最も効果的、経済的な治療の選択を要請しているのであつて、この点からすればルチン剤の使用そのものが既に必ずしも適正とはいい難いのであつて、ルチン剤が吸収され難い面があるとして、直ちにそのため注射するのが適当であるとはいえず、高血圧症の治療としては他の更に有効な薬剤を使用することが望ましいのである。

(四)  飯塚孝一に関する診療報酬の請求は不当請求である。

(1)  飯塚孝一の診療報酬請求明細書(乙第十号証の一)によれば、頓服薬の項にチアゾール一日二瓦四日分と記載してあるので、県保険課係官において実態調査を行なつたところ、患者は頓服薬をもらつていないというのに反し、控訴人は頓服薬を与えたと申し立てたので、被控訴人は、「従来控訴人は頓服薬を与えていないにかかわらずその診療報酬を不当に請求したものである。」と主張してきたが、新たに提出された甲第十号証の一によればチアゾールは内服薬二剤のうちの一剤に包含されているもののようであるから従来の主張を次のとおり訂正する。

(2)  乙第十号証の一の請求明細書の記載からみるとチアゾール一日二瓦四日分は、内服薬二剤のほかに別の一剤として投与されたとみられることは従来主張したとおりである。控訴人は右は内服薬二剤の内訳を示したものであるというが、内訳を記載する場合には、内訳は摘要欄に記載し、点数は二剤の合計点数を記載することになつていた(乙第二十四号証の一、二)のであるから、乙第十号証の一の請求明細書はその記載を誤つたものである。また、当時の点数算出規定(健康保険法及ビ船員保険法ノ規定ニ依ル療養ニ要スル費用ノ額ノ算定方法、別表(一)診療報酬点数表―昭和十八年厚生省告示第六六号、その後一部改正は昭和二十九年六月まで二十九回に及ぶ)によれば、控訴人の投与した二剤の処方がもし控訴人主張のように甲第十号証の一のとおりであつたとすれば、チアゾールを含む散薬(甲第十号証の一の処方(1))の方は一日分三・五点、他の水薬(同号証の一の処方(2))は一日分一・五点で、二剤あわせて一日分五点であるから、四日分では二十点であるべきである。ところが控訴人提出にかかる請求明細書(乙第十号証の一)による請求点数はチアゾールの点数を加えても十八点となつていて明らかに算定を誤つている。

要するに乙第十号証の一の請求明細書の記載ならびに請求点数の算定は規定に則しておらず、従つてそれによる診療報酬の請求は不当請求であるというべきである。

(五)  控訴人の診療録の記載方法は不備である。

(1)  診療録の調製記載に関する健康保険法施行規則第六十八条および担当規程第十七条の規定は、保険医に対し必然的に要請される医師法以上の特別の義務を課しているものであつて、単なる訓示規定ではない。なお担当規程は旧健康保険法第四十三条ノ四第一項の委任に基いて厚生大臣の定めたものであつて形式は告示であるが法規としての効力をもつものである。

保険医療は保険制度を利用した医療であるから、保険経済との関連で保険医の行なう医療の内容は、自費診療の場合と異り、保険医の自由な主観に基く無制限な診療は許されず、規格化または標準化された医療内容をもたねばならないことは当然である。このような観点から保険医は担当規程に定める診療方針に則つて医療を行なうことを要請され、従つてその診療内容については担当規程に定める診療方針に則しているか否かを事後に検査する必要が生ずるが、診療録はその診療内容に関する記録であり、検査の際最も重要な根拠となるものであるから、保険の診療録については一般の場合と異る記載が要請されるのが当然である。また保険医療における医療費は、医療当事者以外の保険者によつて支払われるのであるから、医療費の請求および支払の根拠とする記録は正確なものであることが要請され、さらに現行の医療費の支払方式は保険医の行なつた個々の医療行為に対して診療報酬を個別的に定めて支払う点数単価方式である関係上、処方、処置、手術等の個別的な医療行為が明確に記載される必要がある。

また、保険医療においては、患者が健康保険の適用を受ける事業所を単位とする被保険者およびその家族であること、保険医療の給付期間に三年間の制限期間があること、労務不能の期間については傷病手当金が支給されること等の理由から自費患者の場合に比較して加重された記載事項(被保険者証の記号、番号、事業所の所在地、被保険者との続柄、期間満了の予定日、労務不能に関する記録欄等)が定められ、かつそれらについて記載義務が課せられている。

上叙のように、健康保険の診療録は、保険医療の適正な実施と、保険医療費の正確な請求および支払とを担保する趣旨から、医師法および同法施行規則に規定する以上の記載事項が要請され、様式自体も法定されている(もつとも必ずしもこの様式によらねばならぬものではなく、様式の内容を具備していれば他の様式によるも差し支えない)。これは保険医療の特殊性から医師法以上の特別義務を課していることが明白であるから、健康保険法施行規則第六十八条、担当規程第十七条の規定を単なる訓示規定に過ぎないというのは誤りである。

(2)  控訴人は、被保険者前川久三郎の診療録の記載について、「前川久三郎は昭和二十六年四月以後相当期間にわたり診療を続けているが、前に診療録が作成してあり、それには必要事項が全部記入されている。従つてその後においては診療の都度一々その診療録の身分欄等の記載をしなくても、(それらは前のものを参照すれば直ぐ判るから)差し支えないものである。」と主張するが、同一患者の診療録が一綴りにしてあり、一見してその記載事項が明瞭であるようにしてあるのならばともかく、そうではなくて、同一患者の診療録がそれぞれ全く別個の診療録として作成されている以上、各診療録毎にその必要欄に所要事項を記入すべきは当然である。乙第十一号証の一、三は前に作成されていた診療録と一綴りになつていた形跡はないから、それに所要事項が記載されていない以上、控訴人は診療録の記載不備の責を免れることはできない。とくに保険医は被保険者を診察するに当つては、その都度被保険者証の提出を求め、記載事項や受給資格に変動がないかどうかを確認して診療すべきであり(但当規程第十三条)、ただ同一患者を再三受診している故を以て診療録に必要事項の記載をしていないということは診療取扱手続をも正しく行なつていない証左と考えられるのである。

また、監査の場合には保険医の一定期間内の診療状況、診療報酬請求の当否を監査するのが通常であつて、本件監査の場合にも被控訴人から控訴人あての出頭依頼状(乙第一号証)にもあるように控訴人に昭和二十九年四月以降の診療録を持参させ、それに基ずいて監査を行なつたのであるから、監査官としてはそれ以前の診療録を検しえないのは当然であり、またそれで監査の目的は達せられるのであるから、監査官においてわざわざ初診以来の診療録を全部見る必要はない。従つて被控訴人のなした監査の方法には毫も不当なところはない。

と述べた。

第三、当事者双方の証拠方法〈省略〉

理由

第一、被控訴人の本案前の抗弁について、

当裁判所は、被控訴人の本案前の抗弁を理由がないものと認める。その理由は、左記事由を附加するほか、原判決と同一であるからこの点に関する原判決理由(原判決六枚目裏三行目から七枚目裏六行目まで)をここに引用する。

被控訴人は、「本件戒告処分は保険医の指導を目的とするものであつて、公務員に対する懲戒処分たる戒告とはその本質を異にし、全然懲戒的性質を有しないばかりでなく、それは、指定取消処分とは異り、告示しない建前になつているから抗告訴訟の対象たるべき行政処分ではない。」と主張する。監査ないし戒告処分が保険医に厚生大臣の定める診療方針を徹底させ、保険診療の適正を図る目的を以て行われることは被控訴人の主張する通りである。しかしさきに引用した原判決の理由にも書いてあるように、戒告処分はその処分を受けた保険医にとつては事の性質上指定取消の場合と同様その名誉および信用等に重大な影響を及ぼすことも明らかであつて、このことは原審証人斎藤篤、同岡田久男、当審証人前川久三郎、同成田至の各証言および原審における控訴人本人尋問の結果からも観取するに難くない。そして指定取消処分については県の公報に掲載公示することに定められていることは被控訴人の自認するところであり、成立に争いない甲第三十九号証の一、二によれば、被控訴人は指定取消処分のみならず、戒告および注意の処分についても県公報に公示していることが認められる(被控訴人は、本件戒告が県公報に掲載されたのは過誤によるものであると主張するけれども、措信し難い当審証人岡本和夫の証言を外にしてこれを認めるに足る証拠がない。)から、戒告処分を受けた保険医が受ける不利益は一層大きいと云わねばならぬ。上叙の意味において戒告処分は懲戒的作用たる性質をも具有するものである。原審ならびに当審証人岡本和夫の証言中右認定に反する部分は当裁判所の採用しないところであつて、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

第二、本案についての判断

(一)  控訴人がかねてから肩書地で医業を開業し、昭和二十三年八月一日被控訴人から社会保険医の指定を受け、社会保険の診療に従事しているものであること、被控訴人が昭和二十九年九月二十七日厚生技官松本一郎、地方技官福富義雄を監査官として控訴人の診療方針および診療報酬の請求状況について監査を実施し、同年十二月二十七日附で控訴人に対し、「貴殿は社会保険の診療方針に違背し、かつ重大なる過失による診療報酬の不当請求をしたものと認められるので今後社会保険診療上の一切に過誤なきよう厳重に戒告する」旨の戒告処分をなし、昭和三十年一月七日その決定書を控訴人に通達したこと、控訴人はこれに対し同月十七日異議の申立をしたが同年四月十四日理由なしとして却下されたことは当事者間に争いがない。

(二)  控訴人は、「本件戒告処分は保険医にとつて不利益な処分であるにかかわらず、なんら法律的な根拠に基ずかないでなされたものであるから、憲法第十一条および第三十一条に違反するばかりでなく、監査の手続および戒告処分通達の手続も違法であるから、控訴人に、戒告処分の事由とされた行為があつたかどうかについて判断をまつまでもなく、本件戒告は取り消さるべきものである。」と主張する。よつて考えてみるに

(1)  本件戒告処分は、昭和二十八年六月十日保発第四六号を以てなされた厚生省保険局長の通達である「社会保険医療担当者監査要綱」(以下監査要綱と略称する)に基ずき、保険医の指導監督の必要上なされたものであることは当事者間に争いがない。右処分が控訴人の開業医としての業務遂行上不利益なものであることは前認定のとおりであるけれども、これは刑罰ではないから、これを定めるにつき、とくに法律の規定に基ずかないでも憲法第三十一条に違反するものではない。また保険医は、当該医師の同意の下に都道府県知事の指定によりその資格を取得するものであり、また保険医は何時にても保険医たることを辞退することができたことは旧健康保険法第四十三条ノ三の規定に照らして明らかなところである。換言すれば保険医たる資格や義務は、その指定を受ける者の任意によつて得喪しうるものであるから、たとえ控訴人が保険医たるがために都道府県知事から一般国民と異つた処遇を受けることがあるとしても、それは控訴人の納得の上で蒙る不利益に過ぎない。加之保険医の指定取消については旧健康保険法第四十三条ノ四第三項に明文の規定が存するのであるから、指定取消に至らない戒告又は注意の措置は当然都道府県知事においてこれをなし得る法意であると解することができる。いずれにしても本件戒告処分を以て控訴人の基本的人権を害するものということはできないから、それが憲法に違反するという控訴人の主張は採用できない。

(2)  成立に争いない乙第一号証、控訴人の署名捺印および公証部分の成立に争いなく、その余の部分は原審ならびに当審証人松本一郎および当審証人野村二郎の各証言によつて真正に成立したものと認める同第二号証、公証部分の成立に争いなくその余の部分も真正に成立したと認める乙第十五号証に、原審証人成田小五郎、同岡田久男、当審証人野村二郎、原審ならびに当審証人市川三良、同松本一郎の各証言を総合すると、本件戒告処分の前提となつた、控訴人に対する監査の日時(昭和二十九年九月二十七日)場所は、予め同年九月中旬控訴人に通知され、右監査には栃木県医師会とも連絡をとり、当日はその所属医師である西川於莵六、大島嘉平、小林英一ら立会の下に監査官松本一郎、福富義雄の両名が控訴人の弁明を聴いた上監査調査書を作成してこれに控訴人の署名捺印を求めた後、これを被控訴人に報告し、被控訴人は、その結果に対する措置について栃木県社会保険医療協議会に諮問し、その答申に基ずいて控訴人に対し前記戒告処分をなすに至つたものであることが認められるから、右監査の手続が違法であるという控訴人の主張もまた理由がない。

(3)  成立に争いない甲第三十九号証の一、二によれば、被控訴人は、控訴人を戒告処分に付した理由として、昭和三十年一月七日附の栃木県公報に「健康保険法第四十三条ノ四第三項の規定により社会保険診療方針に違背し、且つ、重大な過失による診療報酬の不当請求をしたものと認められるため」と記載したことが認められる。当時施行されていた健康保険法第四十三条ノ四第三項は、「保険医及保険薬剤師ニシテ前項ノ規定ニ依ル療養ヲ担当スル責務ヲ怠リタルトキハ都道府県知事之ガ指定ヲ取消スコトヲ得」と定め、「戒告」については言及していないが、本件戒告は、前記監査要綱にその定めがなされているものであるところ、右要綱によれば、「戒告」は社会保険医療担当者においてその責務を怠つた場合、その程度が軽く、未だ「指定取消」をするほどでもないと認められる場合になされる処分であつて、指定取消とは程度の差があるばかりであり、見方によつては指定取消の警告的性質を含んでいるものとも認められるから、被控訴人が県公報に戒告の理由として「健康保険法第四十三条ノ四により」と記載したからといつてこれを目してその手続が違法であるということはできない。

また、成立に争いない甲第一号証によれば、被控訴人から控訴人に対する本件戒告の通達書に、その根拠となつた法令が明記されていないことは控訴人の主張するとおりであるけれども、戒告の通達書にその根拠法令を明記すべき旨を定めた規定は存しないばかりでなく、右戒告は前記監査要綱に基ずいて実施された監査の結果なされたものであることは、その通達書である甲第一号証の文言とそれまでの事態の経過に徴して明白であるから、本件戒告の通達に関する手続が違法であるという控訴人の主張も理由がない。

(4)  要するに、本件監査ならびに戒告に関する手続は適法であるから、その違法を理由として戒告の取消を求める控訴人の主張は採用できない。

(三)  よつて、控訴人において、被控訴人主張のような診療方針の違背、診療報酬の不当請求もしくは診療録不備の点があつたかどうかについて審究する。

(1)  診療方針違背の有無について、

(a) 前川久三郎関係

控訴人が前川久三郎を診療したこと、同人の病名が高血圧症とリヨウマチ症であつたことおよび控訴人が右リヨウマチ症に対しザルブロとナルピリンを注射し、右高血圧症に対してアークレミンとルチンを注射したことは当事者間に争いなく、成立に争いない甲第三号証、乙第三ないし第五号証、同第十一号証の一ないし三、前記乙第二号証、当審証人前川久三郎の証言および原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、昭和二十九年一月以来患者前川久三郎の診療に当つていたが、同年五月中における右患者に対する診療実日数は十三日であり、その間往診十三回、血圧検査一回を行ない、内服薬二剤投与十日分の外、皮下筋肉内注射ナルピリン、アークレミン、ヒタチルチン各十三回、静脈内注射ザルブロ十三回を行なつていることが認められる。被控訴人は、「右患者に対する治療方法としては内服薬投与が可能であるにかかわらず、診療実日数十三日間に一日四本の注射を実施したのは健康保険医療養担当規程(昭和二十五年九月二十日厚生省告示第二三九号、以下担当規程と略称する)第十一条第三号(一)の規定(注射は、必要があると認められる場合にこれを行う。)に違反したものである。」と主張し、前記乙第二号証、成立に争いない乙第二十三号証および原審ならびに当審証人松本一郎の証言によれば、あたかも被控訴人の右主張が容認しえられるようであるが、成立に争いない甲第三号証、同第五十四ないし第五十七号証、同第五十八号証の一ないし五、同第五十九号証の一ないし四、同第六十号証の一ないし五、原審証人金子正信、同平尾格、同斎藤篤の各証言および原審における控訴人本人尋問の結果を綜合するときは、アークレミンとルチンは注射薬として健康保険診療に使用して差し支えないことが当時公認せられていたこと、アークレミンには注射剤と粉末剤との二種があり、両者は、薬名は同じであるけれども、その成分と効果は相違するものであるとされていたこと、ルチン剤は、これを経口的に投与するときは吸収が甚だ悪く効果をあげ難いようであり、従つてなるべく注射によることが望ましく、且つ効果を発見するまでには相当期間持続しなくてはならないものとされていたことおよび前記前川久三郎は左腸骨骨髄炎のため数回大手術を受けたために腸管の甚しき癒着があり、従つて胃腸障害のある患者であるので胃腸障害を増悪せしめないため注射を行なつたものであることを認定することができるから、控訴人は注射の必要ありと認めて注射を行なつたものであり、且つ注射の必要ありと認めるについて相当の根拠があつたものと云える。被控訴人は、控訴人が同患者の要求に従つて前記注射を行つたのであるから、担当規程第六条の規定(療養に関しては、患者の要求にのみ聴従することなく、心身の状態を観察し、心理的効果を挙げることができるよう、適切な指導を行なわなければならない。)に違反したものであると主張する。前記甲第三号証、原審証人斎藤篤、同岡田久男、当審証人前川久三郎の各証言および原審における控訴人本人尋問の結果を綜合するときは、前川久三郎が控訴人に対して、「自分は従来東大の坂口医師の治療を受けて居り、同医師から処方を貰つてあるから同様の治療方法をとつてもらいたい」と希望を述べたことがあるけれども、控訴人は同人の希望又は坂口医師の処方に聴従したことはなく、ただ同人から示された坂口医師の処方というものを参考としただけであつて、全く独自の見解によつて前記注射を行なつたものであることを認めるに足りる。乙第二号証、原審ならびに当審証人松本一郎の証言その他被控訴人の提出援用にかかる凡ての証拠によつても未だ以上の判断を左右するに足りないから、前川久三郎に対する診療につき控訴人には被控訴人主張のような不当な点はなかつたものと云わなくてはならぬ。

(b) 芹沢昭関係

控訴人が芹沢昭を診療したことおよび同人の病名が淋毒性尿道炎であつたことは当事者間に争なく、成立に争いない甲第十二号証の一、二乙第六号証および当審証人芹沢昭の証言によれば、控訴人が昭和二十九年三月十四日から同年五月八日までの間芹沢昭の診療に当り、治療したものと判断したことが認められる。被控訴人は、「控訴人が検尿をしないで同人を治癒と判定したのは前記担当規程第十一条第七号(一)の性病治療法、および昭和二十八年五月七日衛発第三五六号厚生省公衆衛生局長通牒『性病治療標準』淋病の項所定の方針(淋病治癒の判定は検尿し陰性であることを確めた上でその判定を下し得るとの治療方針)に違反したものである。」と主張する。しかし成立に争いのない甲第三号証、原審ならびに当審証人金子正信、同斎藤篤の各証言により真正に成立したことを認め得る甲第六号証、前記甲第十二号証の一、二、原審証人岡田久男、原審ならびに当審証人金子正信、同斎藤篤、当審証人芹沢昭の各証言および原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は芹沢昭に対し検尿はしなかつたが、尿道分泌物の塗沫染色鏡検を行つて治癒と判断したことが認められ、被控訴人の全立証によつても右認定をくつがえすに足りない。従つて被控訴人の主張するような診療方針の違背はなかつたものと認めるのが相当である。

(2)  診療報酬不当請求の有無について

(a) 飯塚貞吉関係

控訴人が飯塚貞吉を診療したことおよび同人の病名が胸部疼痛であつたことは当事者間に争いなく、成立に争いない甲第十一号証の一、二、乙第七号証の一によれば、控訴人は昭和二十九年四月二十二日および同月二十三日の両日にわたり飯塚貞吉を診療したことおよび同人に対し内服薬を投与しかつナルピリンの注射を行なつたほかに、ザルブロ静脈内注射を二回施したとして、この分につき十六点の報酬を請求したことが認められる。被控訴人は、「控訴人において、飯塚貞吉に対しザルブロ静脈内注射を行なつた事実がないのにその報酬を請求したのは不当請求である。」と主張するが、前記甲第三号証、原審ならびに当審証人斎藤篤の証言により真正に成立したことを認め得る甲第五号証の一、二前記甲第十一号証の一、二原審証人岡田久男、当審証人飯塚貞吉、同渡辺フミ子原審ならびに当審証人斎藤篤の各証言および原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は飯塚貞吉に対しザルブロ静脈内注射を二回施していることが認められるから飯塚貞吉に関する診療報酬請求は不当ではない。乙第七号証の二その他被控訴人の提出援用にかかる全立証によつても右認定を覆えすに足りない。

(b) 五十畑直、五十畑和子関係

控訴人が昭和二十九年六月二日、五十畑直、五十畑和子を往診したとしてそれぞれ十点づつの診療報酬の請求をしたこと、右両名は同一家屋内に居住する者であるから、その請求が昭和十八年二月八日厚生省告示第六十六号「健康保険法および船員保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(同一家屋内ニ二人以上ノ患者アル場合ハ主タル患者以外ノ診療者一人ニ付一点ヲ請求スルコトヲ得)に違反するものであることは当事者間に争いがないから、右請求が不当であることは疑いがない。

(c) 蒲生英子関係

控訴人が昭和二十九年四月三日から同月五日まで蒲生英子の診療(病名はアンギナー腎炎)に当つたが、その際同人の検尿をしたとして尿蛋白検査一回二点の報酬請求をしたことは当事者間に争いがない。被控訴人は、「控訴人が蒲生英子の検尿をした事実はないから、その報酬請求は不当である。」と主張するが、前記甲第三号証、原審ならびに当審証人斎藤篤の証言により真正に成立したことを認め得る甲第七号証、成立に争いない甲第十三号証の一、二、乙第九号証の一、当審証人蒲生ツネ、原審ならびに当審証人金子正信、同斎藤篤の各証言および原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、扁腓腺炎の治療を受けにきていた蒲生英子の顔面がむくんできたので、腎炎の疑があるとして尿を取つて蛋白検査をした事実のあることが認められるから、控訴人がその報酬を請求したことは正当である。乙第九号証の二、原審証人糸井明洋原審ならびに当審証人松本一郎の各証言その他被控訴人の全立証によつても右判断を左右するに足りない。

(d) 飯塚孝一関係

控訴人が飯塚孝一を診療したことおよび同人の病名が左急性肺炎と腸カタルであつたことは当事者間に争いなく、前記甲第三号証、成立に争いない甲第十号証の一、二、乙第十号証の一に原審ならびに当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は昭和二十九年五月二十九日から数日間飯塚孝一を診療したのであるが、同人に対して頓服薬を投与した事実はなく、またその報酬を請求した事実もないことが認められるから、被控訴人の従来の主張は理由のないことが明らかである。もつとも右乙第十号証の一(診療報酬請求明細書)の記載によると、頓服薬をも投与したものとしてその報酬を請求しているような誤解を招く虞がないではないが、これを前掲各証拠殊に甲第十号証の一、二と対照して検討すると、右は、内服薬二剤を各四日分づつ投与し、その内一剤は四日分で十二点、他はチアゾール一日二瓦で四日分六点合計十八点を請求する趣旨であることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

被控訴人は、「内服薬を二剤投与したのであれば、その記載方法が誤つているばかりでなく、その点数は二十点となるべき筈であるのに控訴人が十八点の請求をしたのは算定を誤つた不当請求である。」と主張する。控訴人作成にかかる右請求明細書の記載方法がやや当を得ていないことは前記のとおりである。診療報酬請求明細書に記載する薬治料については、成立に争いのない乙第二十四、二十五号証の各一、二に見るように、使用した薬剤の主なる薬品名や用量を摘要欄に記載すべきものとする例(保険医手帳、社会保険診療要覧)と成立に争いのない甲第六十一、六十二号証の各一ないし三に見るように、使用した薬品名や用量を摘要欄に記載せずして診療の内容欄に記載する例(「保険診療」)がある。控訴人作成の前記請求明細書は後の例によつたものであるが、その記載方法をとつたために前記の通り誤解を招く恐れを生ぜしめたとしても、これを以て不当請求であるとし難いのは勿論であり、また控訴人が請求点数の算定を誤つていることは控訴人の認めるところではあるけれども、右のように本来二十点請求しうる権利があるのに誤つて十八点の請求をした(過少請求)ような場合には、これを目して不当請求というのは当らないから、この点に関する被控訴人の主張は理由がない。

(3)  診療録の整備について

医師の診療録については、医師法第二十四条にその原則が定められ、同法施行規則第二十三条にその記載を要する事項が明らかにされているが、健康保険による医療の診療録の調製記載方法については、さらに健康保険法施行規則第六十八条(昭和三十二年厚生省令第九号で廃止)および担当規程第十七条に特別の定めがなされていた。健康保険の診療録について右のような特段の定めがなされていたのは、保険医療が保険制度を利用した医療であつて、自費診療の場合と異り、担当規程に定める診療方針に則つて医療を行なうことが要請されるから、その診療内容について、それが担当規程に定める診療方針に則しているかどうかを事後に検査する必要があるが、診療録は右検査の際最も重要な資料となるものであり、また保健医療における医療費は医療当事者以外の保険者によつて支払われるものであるから、医療費の請求および支払の根拠となる記録は正確であることが要請されるがためにほかならない。そこで、かような見地から、控訴人作成にかかる診療録の記載が右の要請に適合しているかどうかについて検討してみるに、成立に争いない甲第十ないし第十四号証の各一、二、同第四十一ないし第五十三号証の各一、二、乙第十二、十四号証の各一、二(以上いずれも控訴人作成にかかる診療録)は、その記載やや乱雑に流れると認められるところがないでもないが、全般的にみて、未だ必ずしも前記要請に背馳するほど不備なものであるとは認められない。しかしながら、成立に争いない乙第十一号証の三(控訴人作成の診療録)は、被保険者証、被保険者の氏名、取得資格の年月日、受診者氏名、生年月日、住所、職業、被保険者との続柄、事業所の所在地、名称、保険者の所在地、名称等いわゆる身分欄が一切空白であり、成立に争いない同号証の一(控訴人作成の診療録)は取得資格の年月日、受診者の職業、事業所の名称、所在地等の各欄になんの記載もない。又成立に争いのない乙第十三号証の一、二(控訴人作成の診療録)および原審証人松本一郎の証言によれば、同号証の診療録には病症の経過の記載がなく、処置欄等の記載が不備であり、且つ被保険者の資格取得年月日、受診者の住所、職業、事業所名、所在地等の記載を欠いていることを認めることができる。後二者はしばらく措くとしても、前者(乙第十一号証の三の診療録)の如きはそれが何人の診療録であるかそれ自体では全く不明である。かようなものは、診療録を作成する目的に照らして到底許容さるべきものでないことは明白である。控訴人は、「右は患者前川久三郎の診療録である。同人は従前から引き続き診療している患者であつて、控訴人は同人を知悉しているから診療録の身分欄に一々記入しなくてもよく判つている。またこの診療録に患者名等の記載がなくても、従来同人のために使用してきた診療録にはその記載があるからそれに添付することにより、右診療録が前川久三郎のものであることは明瞭であるから、控訴人の診療録の記載は不備ではない。」と主張するが、診療録は当該医師の心おぼえのためにのみ作成されるものでないことは多く説明を要しないところであるから、医師たる控訴人が患者をよく知つているからという理由のみで、診療録のうち、患者の同一性を認識するについて最も重要な事項とみられる前記各項の記載を省略することが許さるべきものではない。控訴人は「右診療録を記載事項の完備した診療録と一体として使用していた」と主張するけれども、控訴人が右不備の診療録を、記載事項の完備した診療録と容易に分離しないような方法で一綴りにしておくというような措置をとつたことは認め難いから、たとえ両者を継続して一体をなすものとして使用していたとしても、分散する虞が絶無であるとはいえないし、もしひとたび散逸したならば、それが何人の診療録であるか推知することさえ困難となることは明白である。即ち同一の患者に対して数葉に分れた診療録を使用する場合には、それらが容易に分離されない程度に一体として編綴されていない限り、その各葉毎に少くとも患者の住所、氏名、年齢 性別等その同一性を認識するに足る事項を明記しておく必要があるものといわなければならないから、控訴人の診療録の整備は不完全であるという譏を免れることはできない。

(4)  以上要するに、控訴人に対する戒告処分の理由とされた事由のうち患者五十畑直、五十畑和子に関する前記診療報酬の不当請求の点と診療録の整備が不完全である点とを除きその余の事由は存在しなかつたものである。成立に争いない乙第十六、十七号証、同第十八号証の一ないし三、同第十九号証、同第二十号証の一ないし五、同第二十一号証の一、二、同第二十二号証によれば、控訴人は昭和二十七年二月八日被控訴人から社会保険診療方針に違背したため、今後の事務取扱並びに診療取扱を厳正妥当に取扱うことを条件として注意を受けたことが認められるが、その後数年を出でないのに事務取扱上前記のような不都合があつたことは遺憾である。しかしながら、ひるがえつて考えると右五十畑直、五十畑和子に関する診療報酬の不当請求は、前記のとおり、同一日における同一家屋内の往診料を各十点づつ請求したという事案であるが、成立に争いない甲第十四号証の一、二乙第八号証の一および三、当審証人酒主トシ子の証言および原審における控訴人本人尋問の結果によると、右診療報酬請求明細書は当時控訴人方の看護婦であつた酒主トシ子が作成したものであるが、同人は五十畑直、五十畑和子の各別の診療録にそれぞれ「往診」と記載されているのを見て、それらの患者が同一家屋内にあるもので、その往診が同一の機会になされたものであることに気付かず、それぞれ独立して往診の報酬を請求したため、結果的には二重請求になつたものであつて、控訴人が故意にそのようにさせたものではないことが認められるから、控訴人に監督不行届の責がないとはいえないけれども、精々軽過失の責を負わしめるにとどむべきである。また診療録の整備が不完全であるという点についても、前記二、三の例を除外すれば、とくに不良と指摘すべきものを発見できないことは前認定のとおりであるばかりでなく、原審証人岡田久男、当審証人土谷昌一、同平尾格、同金子正信、同小林英一、同成田至、原審ならびに当審証人斎藤篤、同高安周雄の各証言によれば、昭和二十九年当時一般保険医が作成していた診療録はその精確度において控訴人の作成にかかるそれと大同小異であつたことが認められる。それは決して喜ばしい状態ではないけれども、診療録の整備不備を控訴人に対する戒告処分の一事由として考察するときには公平という観点から右事情をも斟酌すべきものである。乃ち上叙の事実を彼此斟酌して考えると、控訴人を「社会保険診療方針に違背し、かつ重大な過失による診療報酬の不当請求をしたもの」として戒告処分に付することは著しく不当であるから、被控訴人のなした戒告はこれを取り消すのを相当と認める。よつて右と趣旨を異にし、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 奥田嘉治 岸上康夫 下関忠義)

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